wakabayayayayaのブログ

とりとめもない

17_0727

放蕩娘の帰還ばりに、バンプオブチキンを聴いてしまった一日だった。

 

やはり私ぐらいの歳の生まれは、バンプオブチキンと、というか藤原基央と何かしらのアレがあり、

人格形成の一番柔らかな時期にお世話になったといいますか、オカズというよりは主食のような存在だったと思います。

きっと全国の中学や高校の卒業式に藤原基央(ご飯)が来賓席にひっそりと座っていて、自分たちはそこでかつてご飯だった藤原基央との何かしらのケリをつけることになる、そのまま延長してお世話になったり、今までの恩を受けたことなどなかったかのように違う道へ、あるいは忌み嫌うようになったりと、やっぱり何かしらアレが私たちの内部で勝手に繰り広げられる中で、藤原基央は黙って、私たちを引きとめもせずに席に座り続け、今もなお毎年卒業式には律儀に出続けている、そういうイメージの存在。時にはいわれのない悪意を振りかざされることだってあるのに。

私の場合は、恩を受けたことなどないかのように+忌み嫌うのハイブリッドで 

ご飯めっちゃ食べてたのに、それを言ってしまうのがめっちゃ恥ずかしいということ、それを口に出すことで自分の人格とかがモロモロわかられてしまうのではないかという恐怖と、多感な時期を共に過ごしたがゆえの泥臭さ、かっこ悪さに耐えることが出来なかった。

ということで長らく聴いていなかったのですが

、新曲「記念撮影」を聴きまして、なんだかこれが猛烈に胸に届いてしまう。歌詞もメロディも自分が熱心に聴いていた頃より格段にまたひとつ純度があがっていっているというか、真理に近づいているというか、あと少しで明確な答えを掴める一歩手前の段階を目撃しているような気がしました。

いらないものを削り取って削り取って、一番核なるものに近づいていくのは、もうバンプ純米大吟醸しかないと思うし、もう米じゃなくて酒に、しかもとびきり清廉された酒に近づいていた。座り続けているだけだと思っていたのに。

俺もあんたもいつか終わる魔法のなかにいたこと、お互いあの時気付いてたじゃん、と言われた瞬間、一気に融解した私と藤原基央の不和。もう俺もあんたも魔法の外にいるし、魔法の外に向かって歩き出してるじゃん、そうそうそうだった、歩いてる私!と酒を酌み交わして昔話をするみたいだった。酒が飲める歳にもなったしな。

勝手に去って早十年が過ぎたけど、無事帰還といった感じ。お土産に獺祭持って、卒業式に乱入、膝にすがってワンワン泣いたとしても黙ってただ受け入れてくれて、この件は一件落着した。

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レンブラント・ファン・レイン

「放蕩息子の帰還」