wakabayayayayaのブログ

とりとめもない

17_0804

オレンジイズニューブラックをみると

普通に主役級女優が乳首出すし、ブスになれるし、醜かったと思えば、めちゃめちゃ美しいと思える瞬間もあり、なんというかフィクションの中にドキュメンタリーが息づいている。

 

なんかもう、吉岡里帆みたいな女優をみる息苦しさがあって、それはつまり、演技というものが個人の名刺でしか結局のところない、その程度でしかないというのが手に取るようようにわかるからなのだ。名刺がわりでしか演技を捉えていない人間は、決してイメージを崩すようなマイナスな演技はしない。あるいは周りがそうさせない。

それは単に、裸になるとか体を張るなどという見かけ倒しのものではなく、自分の中に渦巻く汚い怒りやしょうもない部分、ダサい部分、人には決してお見せできるもんではない姿をどれだけ他人の前で表現出来るかであり、それは服を着ていても出来ることである。

他人の視線から如何に自由になれるかとの闘いが素晴らしい演技を生むし、胸をいつまでも叩き続け、苦しくさせるような体験を与えてくれる。私はいつもそれらの数少ない体験を拠り所にして生きてきた、は大袈裟かもしれないが、少なくとも自分の人生において芝居は重要なものだったと思っている。

でね、何が辛いかって吉岡里帆みたいな女優がクソ息苦しい聖女みてーな上等ぶった名刺演技がまだ!この!2017年に!おいて!日本で!朝から晩までやっている!傍らで!ネットフリックス!で!同じ時代を生きている女が!オレンジイズニューブラック!ですよ!ハア〜〜同じ時代を生きている!辛ぇ!何億光年も先をいく、物語の豊潤さ、役者の面構えの良さ、多様性すべてに富んでいる!オレンジイズニューブラックですよ!私はアメリカ人になりたかった!みんなブスだし、みんな美しい、そしてそれは本当の人間の姿である。

テレビをつければ、朝から晩までコマーシャルのような演技が続き、それらに迎合もできず、あるいは痛烈な批判をするほどの暇や元気もない。ただ白けた顔でテレビを消して、土鍋で米を炊く日々だ。

ソーシャルネットワークのラストシーンでマークが元カノにフェイスブックの友人申請をした瞬間から、ずっとページ更新のキーをおしてるみたいな、本当にしょうもなくてダサい時間ばかり、こっちは抱えているというのに。